人工言語野

ことば感

生活で感じることば

グラフィックデザインの仕事をやっていても言葉との格闘が日常茶飯事で、なんというか、自分が絵を作る役割だったことなんて忘れることも珍しくありません。

整理したり、わかりやすく説明したりする時や、意味をどうやって伝えるとか、そういうことに一番エネルギーを使うのは、やはり自分がもともと「言葉」に対してコンプレックスのようなものがあって、苦手だからだと思います。
言葉が得意な人と言いますか、あたまの回転が速い方は直感的に物事を把握して、すぐに自分のものにしてしまいますが、わたしの場合はちょっとドンくさくて、何か考えるにしても一度メモをしたり、図にしないとなかなか入ってきません。

デザインはどんな仕事かというと、いろいろと種類はありますが、一般的には「かっこよくて」「新しくて」「ちょっと変わっていて」とかそんな形容があると思います。じゃあ、実際作り手が大体なにを考えて仕事をするかというと、たしかにそういう要素を含めないと商売にならないという面もあるのですが、どうしたら使う人が便利かとか、理解されるのか、というところから始まると思うのです。

たいていの仕事の依頼は、こうこうこういうモノがあって、こうしたいんだけど、何か考えてください、という感じで始まります。

そうすると、デザイナはあれこれ考えるわけですが、一番最初に思い浮かべるのが最後に使っていたり、デザインを見ている人の姿ならこれはもうそれで仕事がうまくいくサインなのですが、依頼してくれたお客さんの顔が浮かんでしまう仕事は何故かうまくいきません。

最後に見ている人の姿が浮かぶというのは、わたしが今誰にどんなことを、どういう風に伝えるべきなのかを「ことば」で説明出来るということでもあります。 乱暴に言うなら、「ことば」で説明出来ない「想い」はこういう仕事では殆どというか、全く役に立ちません。

 



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